「届かない手紙、運命的な不邂逅」

毎年冬が来ると、「寒いから年賀状を配らずに捨てた」という馬鹿が現れる。
世界でいちばん悲しいのは、届かない手紙だ。
年賀状程度ならまだましだけれど、

ひとは手紙というものに、とてもとても強い気持ちを、想いを、願いを込めて託して送る。

手紙が届かないことで、結ばれるはずだった恋人たちもあるかもしれない。

ひとが手紙が届くのを待つということは、なによりも純粋で綺麗な行為だと想う。


「待つ」ということは……。
待っていても、届かないことも、誰もこないことだって、あるんだ。
映画なんかでは、劇的に「運命的な出逢い」を描くけれど、

「出逢えないまま終わる」ことだって、あるんだ。

俺は、それが見えるんだ。

ポエトリーリーディングという行為をする人たちがいるけれど、
自作の詩って、聴いてすぐに理解できるような性質のものじゃないような気がするのに、
そういう活動をしてる人はすごく……、何て言うんだろう。わからない。

「楠は見ていた」

楠はみていた

楠はみていた。
何年も。
何十年も。

この道を通るひとたちを。

雨の降る日も。
雪の舞う朝も。
風の泣く夜も。


人々の別れがあった。
人々の出逢いもあった。

ときには涙も。
ときには優しいほほえみも。

ひととひととが触れあうぬくもりもあった。
ひととひととの絆の切れる瞬間も。

ひとはときには厳しく ときには優しく
ひとは誰もが弱さを抱え いつも誰もが 誰かを必要としている。

ひととひとがなにか糸のようなもので結ばれ
微笑みながら楠の下を歩いていく。



どこへ行くのだろう?

彼らに、どんな未来が待っているのだろう?

彼らが歩む道は、隣りあって平行に延びていくのか。

どこかで交わり、やがて離れてしまうのか。

確かにいま、ふたりの、ふたつの道はお互いの手が届くほど近くまで近づいているのに。

せっかく

せっかくふたりが出会うことができたのに。


『願わくば、ふたり歩むそれぞれの道、手と手を繋いで、どうか離れることのないように』



楠には絆が見える。

小さく、ほろこびそうな絆も。

強く、固く結ばれた絆も。

強い絆は、いつだって、荒れた道を歩んできた者たちの勲章だ。



それがどんな未来へと繋がっていくのか。それは誰にもわからない。


『その小さな絆がほころびることのないよう、しっかりとお互いの手を繋いでいられるように』


楠はそれを何も言わず見つめる。


これまでも
これからも ずっと ずっと ずっと

何かがほころびるその時まで。


誰も楠を見ていなくても

楠はみている。

営業とかいう仕事


営業的な仕事がしてみたいと思うことがある。

前の職場でも、保険の外交員?的なひとが職場に来て雑談がてら
いかがでしょうか?みたいなことを持ちかけてきていた。

もともと、中年あたりの年代のひとたちと会話をするのが好きというか、
性分だ。あの病院にいたころも、中年だらけだったけれど、
仲良く会話していた。


甘い考えかもしれないけれど。


今、いろんなことを考えている。
仕事のこともそう。


前に書いたかもしれないけれど、
高校生の頃、ほどほどに仲が良かった奴がいて、
そいつは一言で言うと不良の範疇にはいるような奴だったんだけど、
そいつと一緒に学校から帰った帰り、橋桁の下でいろんなことを話したことを覚えている。

そいつは俺に煙草をすすめたけれど、そのころの俺は煙草は吸わなかった。

そいつは、俺にいろんなことを話してくれた。夢のようなことを。

「タイに行きてえな。タイみたいな場所で、土にまみれて、畑を耕して生きるような生活をしてみてえな」
「トマイもそう感じたことないか?」

煙草を吸いながら、俺にそいつはそう尋ねた。


そのころの俺は、そんなことは考えていなかったから、
そんなの考えもしないよ、と答えた。

するとそいつは、「お前ならわかってくれると思ったんだけどな」と
少し淋しそうに話していたのを覚えている。

俺はそんなこと想いもしなかったけれど、今、いろんな経験をしてきて、
会社なんかでもそう、どこにもまともに俺がやりたいことをやらせてくれる、
俺に役割を与えてくれる場所もろくにないことを知った今思えば、

彼が言ったことの意味がすごくわかるような気がする。

泥にまみれてみるということ……。


俺にうちあけ話をしてくれた彼は、1年生の頃の半ばに、学校を辞めていった。
今、どうしているのかは、わからない。


合わせる顔がない。

ああ……。

いつかのこと。


前に、名前を聞けば誰でも知っている大手インターネットの企業で働いていたことがあった。

そこで俺と俺の他に4人ほど同期として一緒に入社した仲間がいた。
仲間とはいえ、別に仕事以外の付き合いはなかったけれど、
お互いをニックネームで呼び合ったり、仲は良かったのは覚えている。


そのころ俺は、仕事というものに意義を全然見いだせなくて、
こんなつまらない仕事……、という気持ちでやっていた。


実際の話、与えられる仕事は、部署に届くクレーム的なメールに
部署が用意したたくさんのテンプレートの中からいちばん近いものを選んで
ユーザに送りつけるというもので、何か月も何か月もそのくりかえしだった。


ただ、時給というか給料が今思うと目が飛び出るほどすごい金額で、
「金のためなら仕方ないか」という気持ちで続けていた。

でも、そんな仕事を何年も続けていたから、向上心がどうしても見いだせなかった。
同期で入った、彼らは俺よりもふたつみっつ年上だったんだけれど、
俺以外、みんなチーフクラスに昇進していった。
俺だけが取り残されていた。


よく役に立たないリストラおやじが、解雇するにできない状態になると、
資料室みたいな場所においやられて、ろくに仕事も与えられない部署に移されるというけれど、
俺もそんな感じだった。


ただ、俺の場合、席はちゃんと用意されていたけれど、その席は、チーフになったみんなと
隣り合わせだったり、俺の席の後ろに上の人がいたりと、正直、気が休まらなかった。


リストラオヤジなら、資料室でボーッとしていられるだろうけれど、
俺の場合、気が休まることなく、延々とテンプレートのメールを貼り付けて
送る作業を続けなければいけなかった。

休憩時間になって「休憩行きます」と声をかけるのも、すごく後ろめたい気持ちだった。


そのうち、俺は、周りの目をぬすんで仕事中にインターネットで時間を潰すようになった。
メッセで話をしたり、ブラウジングをしたり……。
ずっとこんな仕事をしているのが、耐えられなかった。

俺が何も仕事ができないから、資料室みたいな仕事を与えられていたのかどうかは、
今はよく覚えていない。でも、誰にも負けるつもりはないという気持ちは持っていた。


ある日。
メッセで話していた時だと思う。
社内で使っていた連絡用のメッセンジャーでメッセージが送られてきた。


「トマイ君、遊んでるの、バレバレだから」


なんとも答えようがなかった。それから真面目にやるようにした。

だけど、ストレスはたまる一方だった。

MEMORIZEでそのようなことを書き始めたのは、そのころだったと思う。

「俺の席の周りを囲むように上の人の席がある。監視されているようで落ち着かない」
というようなことを書いていた。

俺のことを知ってくれているひとならわかってくれると思うけれど、
俺は陰口をたたくようなことは大嫌いだから、
自分の苦しい気持ちを吐露するために書いていた。

そしてそれを続けながら、毎日変わることのない、単純な作業を繰り返していた。
ライン工と何も変わらなかった。


そんなある日。

一緒に同期で入った女の子(という言い方も変だけど、女性)に仕事中、急に呼び出された。
「トマイくん、ちょっと」

誰にも聞かれないような、人気のない階段に連れて行かれたことを覚えている。

そこで言われたことはすごく衝撃的だった。

誰にも知られないように書いていた日記を、見たというのだった。
うっかりどこかのプロフィールサイトにURLを書いてしまっていて、
そこから見つけたのだという。

そこで、「監視されているようで落ち着かない」ということについて、
いろいろ諭された。ネットやっているみたいだから見張るためだとか……。


でも、その時はっきり言ったのかは覚えていないけれど、
匿名掲示板の利用者のように、普段言えない悪口や陰口をネットで言いふらしていると
思われるのはとても心外だった。俺は俺のどうにもならない厳しさや苦しさを
MEMORIZEではき出しているだけにすぎなかった。

誰かを貶めたり、「あの野郎、いつも偉そうなことばかり言いやがって」というような
ことは絶対に言ったことなんてない。

今でもこのページの右側のリンクを探せばまさにその時のことが残っていると思う。
決してそんなことは言ってなかった。



やがて、俺は、俺だけじゃなく10人以上のうちのひとりだけれど、
俺は契約を切られることになった。


その時、同期のみんなで飲み会をやろうということになった。

みんなで集まるのは初めてのことだった。カラオケ屋で食べたホッケが美味しかった。
俺は必殺のミスチルの口笛を歌った。

会計になって、俺はワリカンだと思ってたんだけれど、
俺は小さいのがなかったので、
俺がカードで払うから、あとで各々の分渡してくれればいいよと言った。


だけど、その時、こう言われた。「トマイ君は払わなくていいよ、送別会だから……」

ああ、そうだったんだ、と思った。


カラオケ屋を出るともう始発が走ってる時間だったと思う。

送別会……か。

でも楽しかった。だから、言った。

「また機会があったら集まりたいな」

みんなは「はーい」と言った。


今ではみんなどうしてるのか、知らない。

俺はただ、また集まって騒ぎたいだけなんだけど、
さすがに俺から、「また集まろう」とは言えない。


みんなの中では、きっと俺はいなかったことになっているのだろうな……、と思うと
悲しくなる。もう、機会は……。



でも、たったひとつだけ、この会社に入ってとてもとても嬉しかったことがある。

俺はいつもドラえもん大好き人間ということを公言していたんだけど、
ある日、俺より3つ4つ年上の上司ともいえるYさんが、
ある日突然、「relax」という雑誌の付録についていたらしい
ジャイアンのポスターをくれたこと。

それと、普通にカワイイデスクに飾れる大きさのドラえもんの立派な人形を
プレゼントしてくれたこと。


ずっとやりがいのない仕事ばかりで、落ち込んでいた俺に、
「ほら、これあげる。だから頑張るんだよ!!」とドラえもんをくれたYさん。


結局、ウエに行くことはできなかったけれど、

その職場を去るときに、Yさんに伝えた。

「ここでは何ひとつ自分のためにならないことばかりだったけれど、
 ここで働いて、Yさんがこのドラえもんをくれたことが何よりもいちばん嬉しかったです。ありがとう」


ありがとう。


続く……。

*[Diary]いつかのこと。VersionⅠ

ジャイアンディナーショー!!!

ふと、今俺は何を目指しているのかを考えてみた。

カウンセラということもそうだし、もっとそれ以上のことも、見据えてる。

もちろん一歩一歩段階を踏んでいく必要があるだろうけれど、
(メンタル関係以外の)コネクションもあるし、今まで見てきたことを考えながら、
しっかりヴィジョンを立てていきたい。



ずっとずっと、未来を信じて生きてきた。
苦しいことがあっても、それに意味を見出せるはずと信じてきた。
人との出逢いもそう。
あの経験があったから、今の自分を築くことができたのだと思ってやってきた。
きっと今の苦しさも、自分の存在さえもなかったことにしたいという想いも、
たとえ犬死にに終わったとしても、夢と未来を信じて後ろ向きにでも前に進んでいけば、
きっとたどりつける場所があるだろう。

今のデザイン

今のダイアリーのデザインが気に入ってる。
あまりシンプルとは少しかけ離れてるけど。

最近……、健忘が激しい。
昨日も帰ってきてから、気がついたら眠っていて、今目を覚ました。



昨日買ってきた物はロンTとTシャツ。
それにYMCKの新譜。
あと世界一おいしいポテトチップと世界一辛いポテトチップス。
あと赤いリストバンド。あとバッグ。ショルダーじゃないと嫌い。

ここまで書けばどこの店で買ったのかは一目瞭然でしょう。

さりげにカッコいい。この時期にTシャツ買うのもどうかと想ったけど
ロンTに重ねればいいかなと想って。


最近……、特定の相手だけど、普通に電話ができるようになってきてる。

前、コールセンタの仕事してて、1日40本とか50本とか
対応してて、一生分電話はしたな、と想ってたんだけど。
信頼してるんだ、信頼できてるんだと想う。



ところで、「I love Commercial」のCMってムカつかない?
つまらないものを「面白いんだから見ろよ!」って強制されてる感じ。



ところで(2回目)店で買い物をすると、すごく覚えられる。
某V店で買い物をしたときも、「半年くらい前に、いらっしゃいましたよね?」
とか聴かれるし、服買いに行って店員さんと話してると
「前も買いに来ましたよね?」と言われる。そんなに印象深いのだろうか……。

よく「自分が行ったら店員さんが自分のこと覚えてるんじゃないだろうか」
という自意識過剰な感覚があるというけれど、どうもそうじゃなさそうだ。