名前について考えたことが、ありますか?

 俺はある意味名前のために生きているのだろう。
 俺が死んでも、名前は残る。

 俺は自分の名前に誇りを持っている。
 どれも、意味を持って付けた名前だし、名前の価値を上げようと努力している。

 俺は名前を都合良く変えるようなことはしない。
 ひとつの名前は一人の人間だ。
 その一貫した名前を持って、行ったことは、それが良いことであれ悪いことであれ、
人に迷惑をかけたことであれ、かけていないことであれ、誰かにとって価値のあることであれ、
誰にも価値のないことであれ、自分が自分である証だ。

 名前を都合良く放棄するということは、自分が自分であることを放棄して、
別の人間になりすますということだ。
 俺はそんな都合の悪いことは隠すような生き方は嫌だ。

 俺が、俺の名前がしたことがどんなことであろうと、それを認めてくれる人間が、
認めてくれる人はいる。いちいち名前を都合が悪くなる度に変えて、
自分を隠してこそこそと生きていく必要は俺にはない。

 名前を明らかにする必要のない場面で暇つぶしのために息抜きのためにぼやくことはあるが、
名前を隠して主張するようなことはない。


 主張をすること。それは相手と議論を戦わせることであり、他人を傷つけるかもしれないことだ。
 それを名前を隠して行うことは俺はしたくはない。

 それは実際自分がそのような目にあったことが何度もあるからこその意見でもある。

 彼らは名前を、少なくとも一貫したハンドルネームやメールアドレスを公表して意見を
述べることは、「無い」。

 そのような名前のない人間が、10人以上も集まり、一人の人間に攻撃をする。
 されている側が反論する余地はない。主張に対して誰に反論していいのか判断ができないからだ。

 そのうち、議論はかたちを成さなくなる。「どうせ誰が言っているのかわかるわけはないのだから」と、
書き込みはあからさまな中傷だらけになっていく。簡単だ。「キチガイは帰れ」と言えばいいのだから。

 
 それでも俺は、「十舞啓斗」という名前を殺すことはないだろう。
 それは一貫した名前であり、一貫した人生なのだから。

「インターネット上のハンドルネーム」で使い捨てるつもりはない。

 これから、俺にはどんな人生を切り開いていけるのか、それはわからない。
 けれど、「十舞啓斗」という人物の歴史を消すようなことはしたくない。それが理由だ。

 掲示板の数々でのけもの扱いされ、罵倒されたり、挙げ句の果てにはキ印の烙印まで押された。
 それらすべてを含めて、「十舞啓斗」という人間なのであり、俺という人間なんだ。

 俺は俺の名前に誇りを持っている。
 なんと言われようが、捨てるつもりはない。 

 
 俺は俺に、誇りを持って生きてる。

十舞啓斗
redredcrimson@gmail.com
http://redredcrimson.egoism.jp/
メルマガ発行中。